レーシック手術体験談
レーシックを受けて 埼玉県在住・大谷貴子さん(42歳)骨髄バンク理事
私は、10歳頃から近視症状が現われ、12歳の頃には強度のメガネをかけていた記憶があります。それでも、まだ、小学生の間はメガネに不便を感じることも恥ずかしい、と感じることもありませんでしたので、卒業写真にもしっかりメガネ姿で収まっておりました。
さて、中学生になり、すぐにコンタクトレンズを使用し始めました。もちろん、当時はハードコンタクトレンズで、電車通学の私は、特急電車の通過待ちの瞬間、強風でコンタクトレンズが飛んでいってしまった、などのハプニングを重ねながらもそれから25歳まで、一度も人前ではメガネ姿をさらしたことがありませんでした。
しかし、25歳で白血病にかかり、入院生活を余儀なくされ、感染予防の観点からもコンタクトレンズは使用させてもらえなくなりました。はじめて友人・知人に牛乳便の底のようなメガネ姿をさらさなければならない辛さは、病気の重さと同じくらい辛いものでした。
さて、白血病を骨髄移植で治し、いよいよ、コンタクトレンズ解禁か、と主治医に申し出ましたが、なかなかOKサインがもらえず、5年間はメガネでガマンしていました。どれだけおしゃれなメガネフレームを探しても、レンズが牛乳瓶の底では、重いし、目は小さく見えるし、ついつい、下を向いて歩く毎日だったように思います。
ちょうどその頃、使い捨てコンタクトが発売され、感染予防の点からも主治医にOKをもらい、使用し始めましたが、当初は私の強度近視を矯正するほどのレンズはまだ発売されていない状況でしたから、歩くのに不便のない程度のコンタクトレンズを使っていたほどでした。
このように、常に常に強度近視が自分の中のコンプレックスになっていたもののどうすることもできず、「ああ、一度でいいから、朝起きたら目が見える!」体験をしてみたい、などと切に願っていたのです。
そんなとき、大阪出身の私が実家に帰っているチャンスをとらえてレーシックを受ける機会に恵まれたのです。友人、知人には「恐くなかった?」とよく聞かれるのですが、実は、深く考えているヒマがなく、この時期を逃したら、いつ帰省できるか、たとえ帰省できたとしても手術日とうまく合うか、手術のあきがあるか…そう考えたら、とにかくこの好機を、という考えだけで、あとさき考えずにレーシックを受けてしまいました。
ところで、前置きが長くなりましたが、みなさんが一番心配される痛みについては、私は、全くなく手術中のキラキラ光る色が睡魔を誘い、何度も何度も意識がなくなりかけたほどでした。(ただ、日頃の疲れから眠っただけなのかもしれませんが…)そして、手術後、心配した姉夫婦が迎えに来てくれましたが、人の支えなしに歩ける私を見て、地下鉄で梅田まできたところ、「私たち、ショッピングしてから帰るから」と、まだ、ぼやーっとした状態の私を置いて、さっさとどこかに消えてしまったぐらいです。でも、その後、自分で切符は買えるは、乗り場は間違えないは、階段は踏み外さないは…で、どこから見てもつい数時間前まではメガネやコンタクトレンズなしでは歩けないぐらいの強度近視だった人には見えないはず…いえ、ちょっと、ここは違います。手術直後は、外的要因から目を守るため、とてもおしゃれには見えないすごいメガネをかけていますので、「不思議な人」状態だったと思います(笑)これは、手術後、心配しながら帰宅を待つご家族のみなさんには、「すごいメガネをかけて帰るから」「目が落ち窪んでいるようにみえるから」と事前にお伝えしておいたほうがいいと思います。その日は、ちょっとビックリするような目元になっていますから…。
翌朝は、もう、バッチリ。姪が朝起きてすぐ、私に「イエローページ」を持ってきて「見える?」と聞いたのには大爆笑でした。「近眼の人は近くの小さな文字は見えるの!」…いやあ、でも、起き抜けに少し遠くにある目覚し時計が見えたのには大感激。もちろん、寝とぼけていますから、まずは、枕元のメガネを探すしぐさを必死でしていたようですが…。
その後は、朝から晩まで何の不自由もなくモノが見えることに感激する一瞬、一瞬でした。大げさなこととお思いになられるかもしれませんが、約30年間、朝おきぬけにモノが見えたことがないのですから、本当に感激なのです。また、夜も寝る寸前までモノが見えるので、ついつい、リモコン片手にテレビを見てしまい、気がつくとテレビだけがついている、という反・省エネ生活を送ってしまっています。その上、今やテレビの見過ぎで近視に戻ったらどうしよう、と新たな心配を持っているぐらいです。
また、思わぬ副産物は、ネイルアートが楽しめるようになったことです。今までは、コンタクトレンズ装用時のことを考えるとネイルアートどころか爪を伸ばすことさえもできませんでした。今では、爪がボロボロになるぐらいネイルアートを楽しんでいます(爪にはよくないですが…)
逆に困ったことは、最初、見え過ぎ?から来る頭痛に悩まされたり、手術後しばらくノーメークで過ごさなければならなかったことなどが上げられると思いますが、まあ、嬉しい悲鳴だったと今では思っています。
そして、私の効果を見て、アメリカに住む義兄(46歳)がこの夏、アメリカでレーシックを受け、その娘(私の姪・20歳)も次を狙っているようです。私の手術のあと、この義兄を含めて6人もの友人、知人がレーシックを受け、快適なアイライフを送っています。
老眼まであと何年か分かりませんが、白血病から九死に一生を得た私としては「今」を大切にしたいので、「今」目が見えることにとても感謝し、あのとき、あとさきを考えずにレーシックを受けた向こう見ずな自分を誉めている次第です。
このような素晴らしいアイライフを与えて下さったレーシック開発者とフジモト眼科のスタッフの皆々様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
レーシック体験 36歳男性、職業:薬品会社勤務(平成15年2月)
おかげさまで非常に生活が快適になりました。
正直いうと手術前は非常に緊張しており、何度も手術を受けることを後悔してました。
しかし、先生のお人柄と手術中の話される言葉が非常に心強く感じました。
本当に安心して手術をうけられたのも、そのおかげだと感謝しております。
言われたことは最低限守り、今の状態を維持していきたいと思っています。
もし、友人でレーシックを希望する患者がいれば遠方でも、藤本先生を紹介したいです。
レーシック体験 31歳女性、職業:眼科
高校時代からソフトコンタクトをしていましたが、眼科医として仕事をするようになり、長時間眼を使うため疲れやすくなった上に、ドライアイ気味になり、レーシック手術に興味を持つようになりました。医師の中には、批判的な意見もあり、最初は心配もありましたが、フジモト眼科で外来診療に携わるうちに、手術後の患者さんの見え方や満足度に刺激され、私も受ける決心をしました。術前の詳しい検査で、近視以外に疾患がないことや、術後の眼の厚みや安全性、予測される見え方の説明を受け、手術は両眼で15分で終了し、翌日から予測どおりによく見えるようになりました。
院長の著書どおり、世界が変わりました。
今は、1.5の視力で仕事やスポーツ、旅行でも、快適な生活を送っています。
レーシック体験 41歳女性、職業:循環器内科医
藤本院長とは、高校、大学と同級生でよく知っている仲でした。今までに何度もコンタクトレンズ処方でお世話になっていたのですが、しょっちゅうコンタクトレンズを割ったりなくしたりしているので、2年前にレーシック手術を勧められ、コンタクトレンズなしに生活できるのなら、と期待して受けました。
今は、メガネやコンタクトレンズを探す必要も持ち歩く必要もなく、視力1.0で遠くから近くまで、よく見えて快適です。近くをよく見る仕事なので、わざと少し近視を残す方法で行ってもらったので、まだ老眼鏡もなく生活でき、大変満足しています。
私が受けた後、同僚、看護婦、医療従事者にレーシックを勧めて、多数の友人がフジモト眼科でレーシックを受けました。
皆さんにこの快適さを分かってもらえたら、と思います。
レーシック体験 38歳男性、職業:プロゴルファー(杉原敏一氏)
先輩のプロゴルファーから、レーシックのことを聞き、興味を持っていましたが、手術を受けるのには抵抗があり、1年くらい悩みました。今までソフトコンタクトレンズを入れて試合に出ていましたが、乱視があるためにはっきり見えないときもあり、裸眼ではっきり見たいという気持ちが募り、平成15年2月にフジモト眼科でレーシックを受けました。
検査も手術の時もスタッフの方がにこやかで親切でしたし、手術中は藤本院長が、ずっと声をかけてくださったので、安心して緊張しないで受けることができました。
今は、視力2.0の見え方で、競技中もばっちり見えて、仕事も日常生活でも大変満足しています。
レーシック体験 22才女性、職業:スポーツジム勤務
『よく見えない!』そう私が感じたのは、小学二年生の時でした。それから眼鏡、そして、部活動でバレーボールをするうえで不自由を感じ、高校二年生でコンタクトレンズを装着するようになりました。
私にとって幼い時から視力が悪く、日常において物の輪郭がはっきり見える感覚を知らないのも同然でしたから、コンタクトを装着して見える喜びは素晴らしいものでした。
しかし、私はアレルギー結膜炎をもっており、コンタクトを長時間装着できず、眼の乾燥と違和感は、ずっと不自由で、仕方ないものでした。
更に、約1年半前、目の周りにアトピーのような湿疹と痒みがでてきて、お化粧はもちろん、コンタクトを装着することができなくなり、御紹介頂いた藤本先生に診察して頂き、まず、アトピーをすっかり治して頂きました。
皮膚炎のほうは治ったとはいえ、コンタクトを入れることで、痒くなったり、又、フィットネスクラブに勤務しているため、プール時も不便でした。
その時、藤本先生よりLASIKのお話をお聞きし、最初は皆さんもお考えのことと存じますが、『自分が眼の手術をする?怖い!・・・』正直、想像できませんでした。でも『見える感覚』というものに心ひかれていました。
同じ頃、友人がアメリカで同じ手術を受け、両眼の視力が1.5に回復し、その術後の笑顔の素晴らしさを目の当たりにして、私も決心しました。
そして、先生をはじめ医院のスタッフの方々の親切なご指導と安心感あるフォローとともに恐怖感よりも「見えたい」という期待へ切り換えることができました。
手術後、何もつけずに見える感動と心地よい爽快感、何にも替えがたい大きな、驚異的な喜びとなりました。
術後2ヶ月経て、未だに信じられない反面、目の悪かったことを忘れてしまうくらい自然になじんでいます。
中でも一番嬉しいのは周りの人に表情が明るくなった、目が大きくなった!と言われたことと、ひどい肩こりがすっかりなくなった事です。一段と活発になり笑顔が増え楽しい日々を過ごしています。
LASIKの効果、それは『見えること』+α、私に多くの感動とパワーを与えてくれました。私のように不便に思われている方々、是非身をもって実感して下さい。心がうきうきします。前向きに考えられることをお勧め致します。
末筆で恐縮ですが、フジモト眼科の藤本院長先生をはじめスタッフの皆様、私に素晴らしい感動を与えてくださいまして心より御礼申し上げます。
今後多くの方が、私のような喜びをもって頂けるよう、願っております。(2002年 4月記)
レーシック体験 41才男性、職業:フリーター
私は、左目の近視だけでなく乱視も強く、メガネをかけても左は0.3(裸眼では0.01)くらいの視力しか出ませんでした。
この左右差のためメガネがかけづらく、何度かコンタクトレンズも使用しました。しかし、乱視のため眼球の形が悪く、すぐにレンズが落ちてしまうし、目には違和感があり痛みはとれませんでした。というわけで不便ながらもメガネを使用していたのです。
レーザー屈折矯正手術を知ったのは、ごく最近です。藤本先生にお会いして、私の目の状態を話し、先生から手術について長い時間をかけて説明していただきました。決心は早くつきました。なぜなら、手術が安全であり、なおかつ私のような目にはとても効果的であると分かったからです。
藤本先生はじめスタッフの方々は明るく丁寧で、手術にありがちな不安が全くありませんでした。
現在、手術を受けてから9ケ月、いま、裸眼で右は1.2、左は0.6程度の視力が出ています。長年右目で見る癖がついているので、いま左目でモノを見るように練習しています。
そして何よりも、メガネやコンタクトレンズなしで生活できるなど想像もしていなかったので、喜びよりも、もっと早く手術したかったと正直思っています。手術はあっという間に終わり痛みもなく、その日から快適でした。
藤本先生はじめ手術にかかわったすべてのスタッフの方々に心から感謝いたします。私の長年の悩みであり苦痛でもあったことが一瞬にして消えた思いです。
特に私のように両目の視力の差が激しい方には、特にレーザー屈折矯正手術(LASIK)をお薦めします。
レーシック体験 25才女性、職業:フジモト眼科受付勤務
中学2年生の時にメガネをかけはじめ、20才でソフトコンタクトレンズを使用するようになりました。初めてコンタクトを使い始めた時は、煮沸消毒などのケアが面倒で、使用を止めたこともありました。
しかし、仕事をするようになり裸眼での生活に限界を感じていた頃、使い捨てのコンタクトに出会いすぐ飛びつきました。その時は『なんて便利で快適なんだろう』と感動していました。けれど1日の大半をコンピューターと向い合う生活をしているので、目が乾いてレンズは落ちるし、アレルギーがきついので、かゆくて仕方ないし、かといってメガネで外出して、階段をふみ外した事は数知れず・・・という具合でした。
こんな生活は嫌だ!このままずっとコンタクトを買い続けないといけないのかなぁ。などと思っていた時に出会ったのがレーシック手術でした。手術を受けることに対して不安がなかったと云えば嘘になりますが、本当にこれでコンタクトから解放されるのならば、と思い切って藤本先生にまかせてみようと思いました。
やはり、執刀される先生をどれだけ信頼できるかというのは重要な問題だと思います。
さて、実際手術を受けてみてどうだったかというと、手術直後の当日は、まだピントが合いづらく、ぼぉーとした状態でした。が、翌日の検査では1.5ずつ見えていました。
とにかく遠くの看板の細かい字が読めることに感動するばかり。“電車の時刻表がしっかりと見えてるんだけど、本当に今裸眼なんだよね?”という不思議な感じなんです。
今、私は術後3ヶ月が経過しましたが、視力は1.5で安定していますし、見え方にも満足しています。
周りの人たちからは、表情が明るくなったし、目元もパッチリとよく云われるようになりました。視力が良くなるということは明るい人生を手にいれる事なのかな、と満足しています。
(2001年 10月)
レーシック体験 35才 主婦
レーシックを受ける前は、本当に恐ろしいと思いました。でも、強い近視でレンズが分厚く、眼鏡がなければと思うことは子供の頃からあり、その気持ちが勝りました。
神経質で、医療ミスの為に命を落としかけたこともあったので、すごい覚悟が必要した。手術はやはり私にとっては、こわいものでした。痛くはなかったのですが。
何度も疑似練習し、詳しい説明を受け、なにがなんでも眼鏡を外したかったので、乗り越えることができました。
手術を受けて、私の夢がかなったのです。眼鏡がないっていうこと、それはまた想像をこえてステキなものでした。
女性としてアイメイクがとてもしやすくなったことや、着がえの時、顔を洗う時等々快適なシーンは数えきれません。
現在35才ですが、20年前くらい早くこの技術があったらな〜と心から思いますが、今でも本当に感謝です。
眼の調子は、今まで眼鏡をして守られていたので、風にあたった時に、少し充血したり、一時的に、見にくい時もありますが、長年の頭痛や肩こりがなくなったことを考えれば比になりません。私にとってレーシックは、本当によかったと、つくづく思います。
レーシック体験 25才女性、職業:知事秘書
私は軽い近視で、普段の生活の中ではコンタクトも眼鏡もしていませんでした。
もともとコンタクトには抵抗があり(目が大きいのでゴミが入りやすい、手入れの煩わしさ等)、眼鏡も、出来ればかけたくないくらいに思っていました。
しかし、持ち歩いていないと不安だし、困ることがあるので、何かと面倒に感じていたものです。
まずLASIK手術を受けるきっかけとしては、お稽古(琴)をする際に、眼鏡なしでは全く楽譜が見えません。眼鏡をかけていてもレンズとの境でかえって混乱することもありました。
また仕事の上でも、来客の多い職場で、人の顔を憶えることも必要とされます。あいまいな見え方なので、何度かお会いしていた方でも分からないことが度々ありました。
明確に見えると、人の顔も憶えやすいんです。
結局、手術を受ける1番のきっかけとなったのは、なんと言っても信頼できる先生が、この手術をなさっているということだったと思います。
実際、LASIKを受けるにあたって、不安は全くありませんでしたし、緊張もしていませんでした。ただ、思いっきり開かれている目の周りの皮膚がひっぱられる感じが辛かったです。
費用の面を別にすれば、ほんとお手軽に視力を取り戻すことの出来るマジックのように感じました。
術前に不便に感じていたことからも解放されました。ただ1つあるとしたら、以前より少し暗闇で見にくい時があります。それ以外はとっても快適です。
この1年は、周りの人達にLASIKを宣伝している日々です。
レーシック体験 39才 主婦
「コンタクトをしていて老眼になったらどうなるのだろう…」という疑問がLASIK手術との出会いでした。
小学校4年くらいからメガネのお世話になり、中学1年の頃にはコンタクトとメガネを両用して、いつしか身体の一部として、コンタクトはなくてはならない物となりました。
定期検診の折に、藤本院長先生に最初の疑問をお尋ねしてみたところ、視力回復手術が意外に簡単に行え、安全性も完璧であるとのことでした。
もとより院長先生の技術は、地域でも評判で、ご信頼しておりましたし、的確な説明で手術の不安はなくなり、合併症に対する理解もできました。
将来機会があれば受けてみようと思っていたLASIK手術がトントン拍子で進み、悩む間もなく手術の日を迎えることになりました。
手術を終えてみて、何が苦痛であったかと言うと、術前の検査等の期間も入れて約3週間程コンタクトの着用を中止され、メガネのみの生活が辛かったことぐらいで、それもその後(手術の翌日)裸眼でスッキリ遠くまで見ることができた時の喜びと比べると、問題にならないものでした。「これからはコンタクトもメガネも必要なくなる!ヤッタ!」って感じでした。
後に気付いたことですが、何十年も続いた偏頭痛がすっかりなくなっていたのです。まさか近視が頭痛の原因になってたなんて思いもよりませんでした。
まだ手術していただいて1年ですが、今のところ至って順調です。3人の子供達の育児に追われる毎日ですが、手術を受ける以前より、ずっと便利に快適に暮らしています。
藤本先生に出会えた事、LASIK手術が早い時期(老眼になる前)に受けられたことに喜びを感じています。
身近で近視の強い友達たちに「もし迷っているなら、早い時期に是非考えるべきだ」と勧めているところです。
レーシック体験 27才女性、職業:フジモト整形外科勤務 鍼灸師
私は小学校3年生ごろから視力が落ち始め、小学校5年生から眼鏡をかけ始めました。視力の低下はどんどん進み、中学校を卒業する頃は、0.1以下で、かなり分厚いレンズになっていて、かなりのコンプレックスでした。高校入学とともに、コンタクトレンズに変え、その悩みも解消されていましたが、ここ2〜3年は眼の異物感、乾燥感が強くなり、コンタクトレンズを付け続けることに対し不安を抱きはじめていました。
RKやLASIKなど、近視治療の手術のことは前々から知っていましたが、術後経過に対する不安が強くあり、もし私が手術を受けることになっても、まだまだ遠い話だと思っていました。それが、こんなに早く手術を受けることができたのは、本当に運が良かったと思っています。
藤本院長先生はじめ眼科のスタッフの方々に、十分な説明を受けることが出来たので、手術に対する不安感はなく、むしろ1日も早く手術を受けたいという思いで、手術前の1ヶ月を過ごしました。コンタクトレンズの生活をやめることが、とても楽しみでした。
手術当日も普通に仕事をして、普通に食事をして手術に臨みました。緊張しましたが、両眼20分ほどの手術は、あっという間に終わり、手術台から降りた時から、以前より良く見えるようになっているのが分かり、感動したのを覚えています。
術後1週間は眼をこすらないように気を遣いましたが、1日1日眼の状態が良くなっていくのが、自分でも良くわ分かり、今では眼の存在を忘れているぐらいです。
正月はスキーにも行ってきました。吹雪いていましたので、もし、コンタクトレンズや眼鏡だったら、滑っていられなかっただろうと思います。
それに、手術を受ける前よりも眼がぱっちりと大きくなったと、周りの人に言われるのもうれしいです。
これからは、眼の使い過ぎに注意して、せっかく良くなった視力を大切にしていきたいと思います。本当に有難うございました。
レーシック体験 清瀬 美乃さん 24才女性、職業:フジモト眼科勤務
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昨年10月にLASIK手術を受け、手術翌日から両眼の視力共に
1.5、3ヵ月検診では両眼共に2.0と、現在眼鏡・コンタクトなしのとても快適な生活を送っています。 |
私がLASIKを受けようと思った理由は、中学生から始めたコンタクトによるアレルギー性結膜炎、更にコンタクトによる眼の乾燥で起こる角膜ビラン(眼の表面にできる傷)、またこの角膜ビランがひどい時は、コンタクトも装用できなかったりと、不自由な思いをしたこともあり、コンタクトなしで生活できるなら、どんなに楽だろうと思い、手術を受けました。
手術後は、コンタクトを装用しなくてよくなったおかげで、こういった症状は全くと言っていいほどなくなり、とても快適に過ごしております。
手術に関しては、手術室に入るまでは、とても緊張して力も入りましたが、痛みも全くなく、近くでスタッフが手を握ってくれたり、先生からも常に声かけがあったので、精神的なことも含めて、とても楽に安心して、手術を受けることができました。
手術翌日、朝起きてコンタクトなしで周りが見えた時は、何とも言えない程の驚きと感動でした。
最近では、この手術に関して知っている方も多いと思いますが、まだまだ知らない方も大勢おられると思いますので、少しでも多くの方に知って頂けるよう、自分の体験をお話できたらと思います。
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2007年12月15日手術
手術後、1日目 右1.2 左1.5、1週間後 右1.5 左1.5 の視力に
なりました! |
私は近視が特に強いわけではないのですが、コンタクトかメガネがないと生活が出来ない状態でした。高校生からハードコンタクトを始めましたが、異物感がひどく長続きせず、ソフトコンタクトは今年で約10年目です。20代前半では、乾燥感など感じたことなく乾燥する意味すらわからなかったのですが、最近になり目がしょぼしょぼしたり、コンタクトが目に張り付いている感じがあったり・・・これが、乾燥感だと自覚するようになりました。
家に帰るとメガネに変えますが、普段からかけ慣れていないので、目頭の周辺が重たかったり、眼精疲労を感じたりと、コンタクトもメガネも辛くなってきました。こんな目の状態を我慢して日々過ごし、目のことを気にしながら過ごすことがいいのか、それとも手術するべきなのか悩み始めました。
辛いのは我慢しようと思えば出来ると思ったのですが、どっちが、自分にとって生活の質が上がるのかと考えた時に、やっと決心がつきました。
・目の乾燥感があるのにかかわらず、旅行の時はなかなかはずせない。
・温泉では、足元が見えなくなるのでもちろんつけたまま。
・マリンスポーツの時は、コンタクトを装用したまま。
など、色々ありますが、私の生活の中でコンタクトをすることが不都合だと思いました。
生まれて初めての手術だったのでドキドキしましたが、緊張をやわらげる薬を飲み少し落ち着きました。LASIKの手術は、先生の介助として仕事で携わるので、手術内容は把握していましたが、患者様の立場として手術を経験できて、よかったと思いました。手術中は、レーザーの機械が真正面にあり視線も光を見ておかなければいけません。ですので、私は孤独感を感じたのですが、先生や周りのスタッフが今何をしているか、痛みの有無など常に声をかけて下さり、手を握ってくれている安心感はとても心強くて、いいものだと実際に思いました。
もちろん、手術は無事終わり
手術後 1日目 右1.2 左1.5
1週間後 右1.5 左1.5 の視力になりました。
手術3ヶ月後から海に入ることができるので、何も気にせずスポーツが楽しめるので今から楽しみです。もっと、若いうちに手術していたら・・・と思いました。
ミニRK体験談
ミニRK体験談 会社員 54才 男性
左右の視力差(0.4と1.5)があり、仕事や運転などで不自由を感じていました。眼鏡使用も試してみましたが、汗かきなのでレンズの汚れ、耳や鼻のなんとも言えない違和感に悩まされていたのです。
実母(白内障手術を藤本先生にして頂いて大満足)の勧めで、藤本先生の診察を受けることとなり、目の疲れが強いことも含め、ご相談させていただき治療を受けるうち、院内の掲示物で視力矯正術を知りました。右目のみの軽い近視でしたので、ミニRK法で十分視力が回復するという説明をいただき、手術をお願いしました。
夏休みを利用しての手術でした。手術開始の時まで恐怖心は消えず、心細さも・・・。
そして、手術が終わると、そのものに不快感はなく、要した時間も準備等よりもごく短く、3分位でした。救われた感を持ったことを今でも覚えています。
術後の経過は良好で、視力の回復を実感できたのが何にも例えようのない喜びでした。
術後、消毒に数回通院を要し、その都度の検査結果が知らされ、満足するもの(1.0以上となる)でした。
前述のような悩みから解放されて、先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ、最近の手術法(レーシック)だと、もっときつい近視も治せると伺い、医学の進歩に感心しています。
今では、甥夫婦に対して、はやく!手術を受ければ!! と勧めたり、職場の方々に折りある毎に体験談を語っている自分がおかしく思えます。
◎PTK体験談
PTK体験談 キリスト教会 教会長 72才 女性
私はエキシマレーザーによる治療的角膜表層切除術(PTK)で視力を回復しました。2000年の4月15日に右眼を、5月15日に左眼を手術しました。
若い頃は1.2〜1.0の視力で両眼とも健全でしたが、40才頃から視力が下がり、眼科医の診察を受け始めました。遺伝的な角膜変性による角膜混濁といわれ、今の時点では薬物の治療はできず、進行すると角膜移植しかないと言われ、不安を抱いていました。
しかし、勤務の関係で眼を酷使することが多く、次第に字も読みづらくなり眼鏡を何度も変えていました。
その時、知人より藤本先生をご紹介して頂き、藁をもつかむ思いで診察を受けました。白内障も進んでいるとのことで、先ずその手術を受けました。その際に、角膜の濁りも少し削って頂き、両眼無事手術をすませ、一時は非常によく見え喜んだのでした。
しかし、3年後より、又、視力が低下し、診察して頂くと、又、角膜の混濁がでてきたとのこと、今は研究が進んでいるエキシマレーザーによるPTKを受けるのがよいと、詳しく説明してくださいました。
しかし、手術には綿密な検査と技術がいるでしょうし、人間の眼がそんな機械でよくなるのかといった心配や、数年先に再度手術を要することもあるとお聞きし、少なからず不安を覚えていました。
しかし、藤本先生を信頼して右眼を4月に、左眼を5月に治療して頂きました。日毎に術後の経過がよく、世界が広く見えるようになり喜んでおります。
老眼があるので、近くのものをみる時は、眼鏡をかけますが、手術前に比べ、楽に本が読めるようになり、喜んでいます。
眼は私たちの生活に大切な役割を果たします。眼の悪い方も、このように良い治療を受け、幸せな人生を歩んで頂きたいと願っています。
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◎LASIK手術後 翌日一言コメント
(2006年1月21日手術)
朝起きて目を開けたらすぐに見えているし、目の中に何も入れていないのに、コンタクトレンズでゴロゴロせず見えているのが不思議です。
K.Y 25歳 女性
(2006年1月21日手術)
手術直後よりも、今朝起きてからの方が良く見えています。
S.M 27歳 女性
(2006年1月21日手術)
今回は2回目の(追加矯正)でしたが、1回目の時よりも楽でした。
とても良く見えます。
M.M 40歳 女性
私の周りのスタッフでLASIKを受けた人から話を聞いて、私もLASIKを受ける決心をしましたが、強度の近視と乱視のため角膜の厚みが足りず、LASIKができませんでした。がっかりして諦めていたのですが、藤本院長からICLという新しい治療があると聞き、是非、受けようと思い今年の7月に両眼フェイキックIOL手術を受けました。
手術前は外見がどうなるのか、どれぐらい痛いのかとかいろいろ不安はありましたが、手術中、先生が次に何をするのか細やかに説明して下さったので、不安も無く、点眼麻酔だけでしたが痛みも全くありませんでした。
手術後、鏡で自分の目を見ても、特殊なレンズが入っている事は分からないし、コンタクトレンズをする毎日の面倒くささもなくなり、すごく快適に過ごせてます。視力も左右1.5見えて夢のようです!!
今25歳ですが、ずっと先で白内障になっても、普通に白内障手術も受けられるそうで、安心しました。ICL手術を受けて本当に良かったと思います。
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手術後、翌日から0.8〜0.9程度見えるようにになり、
1週間後には1.0、1ヶ月後には1.2〜1.5まで見えるようになりました。 |
*フェイキックIOL手術を選んだ背景
小学校高学から近眼が始まり、以降、分厚いメガネをかけておりました。高校に入ってから、コンタクトレンズ(ハード)を装着開始し、以降、不便はあまり感じませんでした。
しかし、近視はついに裸眼視力0.02までさがってしまい、2005年夏に子供を出産してからは、目のトラブルや不便を感じるようになりました。例えば、夜中に何度も授乳で起こされる度に、メガネを探して装着しなければほとんど物が見えない、仕事と子育ての両立で多忙になり、目が疲れやすく、レンズ装着をすると目がかすみ、涙の量が少なくなってきたり・・・。
また、老後になってもコンタクトレンズを装着し続ける生活がどうも想像しづらく、できればもっと楽に生活できる方法がないか ?など。仕事で大量の資料や書物を読んだり、PCで書類を作成したり、会議で人に会ったりなど、この不便さを我慢していたことに気づきました。もし、現在の医療が安全にこの問題を解決してくれるなら、以降の人生がよりすばらしく快適になるかもしれない、と希望を抱いたのが手術を選んだ背景です。
*通院や手術はどんな感じだったか?
通院は何度か忘れましたが、1〜2週間に1回と結構回数は多かったと思います。屈折・視力検査、角膜の厚み、形、大きさ、細胞数、涙の量の測定、血液検査など、多くのプロセスがありました。ただ、待ち時間をできるだけ短くしようと工夫してくださったので、あまり気になりませんでした。
手術は、実質30分、回復室で30分、合計で1時間と短く、苦痛は全く感じませんでした。あるとすれば、目の手術への恐怖感だけで、これも看護師の方が手を握ってくださったり、先生が声をかけてくれたりして、
リラックスして手術を受けることができました。
気づいた方もおられると思いますが、フジモト眼科は、女性スタッフがほとんどだったり、ヒーリング音楽がかかっていたり、ほのかに香るアロマテラピーがあったり、トイレも含め室内インテリアが洗練されていたりして、患者をできるだけリラックスさせようと工夫していると思います。手術=恐怖というイメージが、フジモト眼科では、手術=将来への明るい希望というように、ポジティブに変わっていきました。
唯一、手術前の眼球の上に錘をのせる作業は、多少不快感ははあったり、術後1週間は入浴ではなくシャワーなどと限定事項はありますが、劇的な視力改善のことを考えたら、大した問題ではありませんでした。
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手術翌日
眼内レンズが中央に見えます。 |
手術1ヵ月後
虹彩の中にレンズがありますが、外からは見えません。 |
*手術後の見え方と感謝の気持ち
手術直後も今までの0.02に比べたらかなり見えていましたが、翌日から0.8〜0.9程度見えるようにになり、1週間後には1.0、1ヶ月後には1.2〜1.5まで見えるようになりました。
見え方も、輪郭や文字がはっきり見える感じで、今までの姿勢を正して少し離さないと、近くが見えすぎて疲れてしまうくらいです。毎日できるだけ遠くを見るようにして、夫とどこまで見えるか競争しています。術後3ヶ月まで点眼は1日3回必要ですが、これが終われば完全に裸眼と同じ状態になるのだと考えると、ワクワクして感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは、いつでも「うたた寝」もできるし、プールにも入れるし、朝起きたらすぐに物が見えるし、夜更かしもできる、また海外出張で飛行機で寝るのも、以前はメガネに変えて搭乗していましたが、これからはそのままで良いと
考えると、喜びでいっぱいです。
ちょっとびっくり眼科体験
私58歳。小学生の時からメガネ。年齢を重ねるにつれ近視に乱視、そして50歳もこえると老眼が始まり、ここ2、3年は日常生活のいろいろな用途にあわせてメガネをはずしたり、取り替えたり、忘れたり、さがしまわったり。
夜になると細かい作業はお手上げ。
年をとるって、こういうことなんだ・・・・・
去年、娘がレーシックで近視を矯正。現在メガネなしの快適な生活をおくっている。私もせめて近視だけでも改善できればと眼科に行ってみました。
検査の結果、自覚症状のなかった白内障が両眼ともはじまっているのでレーシックは適応外。白内障手術時に乱視の手当てをして、多焦点眼内レンズを入れることで近視と老眼も日常生活に困らないところまで矯正しましょうとのびっくり夢のような診断。6月9日に右目、16日に左目の日帰り手術を受けました。1ヶ月たった今、両眼で1.0。新聞も読めます。ただ株式欄などの細かい文字や数字はかなりあやしいので近々、老眼鏡は作る予定です。
日々進む、がん医療。興味の方向はそっちに向いていましたが、他の分野も想像を超えて進んでいる事を実感した眼科体験でした。
年齢制限や適応のあるなしがありますので、まずはしっかりとした眼科での検査が必要です。
2007年8月 左眼手術、2007年9月 右眼手術
若い時から強い近視で、長年ハードコンタクトレンズを使用しており、除々に瞼が下がってきて、年齢のせいだから仕方がないと諦めていました。この度は白内障屈折矯正手術を受けることができ、本当に感謝しております。今まで10歳の頃から見えない不便さは随分味わってきました。最近では、年も年だし・・・と思い眼のことはもうあきらめようかなと思っていました。しかし、仕事に支障ができ、なんとかせねばと思っていたところ知人からレーシックの話を聞いたり、名医の知人の院長から「眼科なら絶対フジモト眼科に行きなさい。腕のいい医者です」と医療のプロの医者が推薦する話を聞き、受診させてもらいました。受診するごとに、最新の機器の設置や院長をはじめスタッフの対応をみるにつけ、安心感と信頼感が高まってきました。手術時はやはり、眼にメスが入ると思うと緊張し体が固まり、力が入ります。しかし、常に手術内容・眼の状態をを言ってくださり、はげましの声かけを院長自らがされ、安心して手術を受けることが出来ました。スタッフの方が優しく接して下さったり、手を握って下さったときには本当に嬉しく心が溶けそうでした。
お陰様で裸眼でこんなに物が見えるとは考えてもみなかった事が現実に起き、嬉しくてたまりません。物が見えるとはこんなに素晴らしい事なのかと改めて感激しております。心の中までも明るく生活しております。眼にするものが新鮮に見えてくるのです。
まだ手術したばかりで近くの物が少し見えにくいですが、今後どこまで見えるか楽しみです。
院長先生をはじめスタッフの方々に感謝しております。今後ともお世話になりますが、よろしくお願い致します。取り急ぎ乱筆乱文にて失礼します。お礼の気持ちを書きたかったのです。
2007 .9. 26
母よりの伝言(息子 代筆)
藤本先生、本当に有難うございます。これからも、まだまだ宜しくお願い致します。
病院の全スタッフの方々の対応には充分に満足しております。明るいし、親切だし、丁寧だし、ハキハキしていらっしゃるし等々、スタッフの皆様の笑顔がまた素晴らしいものです。
母が、先生に一番伝えたかったことは、次のことです。
手術の際、不安で不安で仕方なかったのだけれど、一人の看護婦の方に、片手をしっかりにぎって頂いていたこと(それも、とてもやわらかい手だったそうです)に、先ず、とても安心の一歩を感じたようです。それも最後まで、にぎってもらっていたようですね。そして、先生の声がとても美しく、やわらかくって、まるで心なごむソフトな音楽を聴いているようでしたとのことです。
先生の「ハイ、○○取って、○○をして、……等々や、大丈夫ですからね、 ……とか、もうすぐ終わりますよ。よく頑張りましたね、とか」などの声が、まるで楽器の様で、更に更に安心感が増していったようです。すると、手術に要した時間が嘘の様に短く感じたようです。
という内容を母から是非先生に伝えて欲しいと言われましたので、大変遅くなりましたが、このアンケートに添えさせて頂きます。
母は、先生に大変感謝致しております。本当に有難うございました。スタッフの方々にも宜しくお伝え下さい。(平成18年8月13日
記)
レーシック手術の手順 レーシック手術後データー
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